こんにちは、くんしです。
今日で7月も終わりですね。明日から8月。夏休み本番の方もいらっしゃいますよね。
7月のブログでは、小説や日本語関連の書籍など、本をいくつかご紹介しました。
そこで、今回はジャパンファウンデーションの機関誌である『をちこち』第23号(2008年6月1日発行)の内容を少し振り返ってみたいと思います*1。
特集のタイトルは、ズバリ「翻訳がつくる日本語」です。
巻頭鼎談は、豊富な翻訳経験をお持ちで著書や訳書も多数出されている鹿島茂氏(明治大学国際日本学部教授)、亀山郁夫氏(東京外国語大学長)、鴻巣友季子氏(翻訳家)の3名によるものでした。
鼎談の中の小トピックを拾ってみると・・・
「作品のタイトルをどう訳し、どうつけるか」
「なぜいま新訳が見直されているのか」
「外国文学全集の翻訳で家が建った時代」
「こなれた翻訳を売りにしたプロの翻訳家が出てきた」
「語り手の「声」を意識した翻訳が増えてきた」
「昔の翻訳は息継ぎの仕方が今の人に合わなくなった」
「濁った翻訳の抵抗感によって想像力が高まることもある」
「下手な原文は下手に訳すべきか こなして訳すべきか」
「何でも原文の語順にそって訳すのは危険である」
「ハイになって、いくらでも訳せる瞬間」
「明治時代には登場人物の名前まで日本風にした」
「翻訳とは自らの内側に他者を育てることである」
と、これだけでも興味をそそられる魅力的な内容になっています。
特に印象深かったのは、「翻訳とは自らの内側に他者を育てることである」という内容でした。例えば、以下のやりとり。
(鹿島氏)要するに、翻訳は他者を自分の中に育てることですね。他者がないと自己肥大になってしまう。
(亀山氏)他者がいないと、カラオケを一人で歌っているにすぎない。他者を受け入れる苦しみはまさに翻訳です。
また、本を読むということについて、
(鹿島氏)T・S・エリオットが『読書論』で言っています。本を読んで、その中に没入することは、作者に自我を占領されてしまうことである。違う読書体験をすると、また占領される。この繰り返しによって、いろんな他者を育てていく。それが読書だということですね。
読み終えて私は、翻訳をするということは、外国の文化に精通し外国語の言葉を操りながら、「作者に自我を占領される」体験を通じ、しかし同時に完全に「対岸」に行ってしまうのではなく、つまり完全に他者と化してしまうのではなく、「他者を自分の中に育て」、「他者を受け入れる苦しみ」の中でもがき格闘しながら、言葉を紡ぎだしていくということなのではないかと感じました。
翻訳によって日本語が鍛えられる、翻訳が日本語をつくるという鼎談のテーマに、「なるほど!」と納得するものがありました!
『をちこち』第23号は、ジャパンファウンデーションのウェブサイトや全国主要書店で購入することができますので、ぜひお手に取ってみられてはいかがでしょうか。
そして、何と、明日8月1日は『をちこち』第24号の発売日です。
特集タイトルは「変わりゆくインドネシア」。こちらもまたご紹介しますので、お楽しみに~。
さて、話は変わりますが、最近私は米原万里著『心臓に毛が生えている理由』(角川学芸出版, 2008)を読みました。
米原さんは名の知れたロシア語同時通訳家で、作家でもいらっしゃいました。
2006年5月にご逝去されてから2年後に当たる本年に、新聞や雑誌に掲載されたエッセイを一冊の本にまとめる形で出版されました。
ユーモアやウィットに富んだ軽快な米原節で、すいすいと読み進めることができます。
本の中で、米原さんは9歳から14歳の多感な時期にプラハに住み、50カ国くらいの生徒が通うソビエト学校に通っていらっしゃったとあります。
東欧がイデオロギー対立の中で揺れ動く中、ソビエト学校にいろいろな経緯で集まった国や民族の異なる子供たちは、否応なく国を背負わざるを得なかったとありました。
米原さんもつい日本という国を背負っていたと。
翻訳者と通訳者は似て非なる部分も多数あることと思われますが、私は、先の『をちこち』第23号の鼎談にあった「自分の内に他者を育てる」を思い返しました。
通訳家としての米原さんにとって「他者」があるとするならば、それは自分の中に育てられたものではなく、否応なく自分の中に入ってきたものだったと言えるかもしれません。その他者から自分を区別するための格闘があり、様々なご経験やご苦労を経られて、自分の中の他者とのちょうどよい関係を築かれたからこそ、今回のエッセイ集のような文化を俯瞰する余裕たっぷりで深みある文章があるように思われました。
ジャパンファウンデーションで仕事をしていても、文化と文化が単純につながるだけでなく、つながることで双方が豊かになると思う瞬間があります。翻訳者や通訳者という仲介者の方々によって、新たな日本語、新たな外国語、新たな文化が創り出される、それは豊かなことだと改めて思いました。
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