Thursday, June 25, 2009

 デザインとは社会の仕組みをつくること






こんにちは、松岡です。


このブログ、どんな方がご覧になってるのか、アクセス解析を定期的にやってます。


自分も含め、webをみるときって、定期的にサイトを覗いているとき以外は、大体、「検索」から入りますよね?


そこで、どんな検索キーワードでうちのブログに来てる人が多いかな、と思って調べてみたところ、





なんと一位は・・・


「インタビュー 菊地敦己」


でした。





さすが菊地さん! 

今や大人気のデザイナーですね*1


菊地敦己さんは、僕が昨年まで担当してた「横浜トリエンナーレ2008」のポスターデザインや会場サイン、グッズ、スタッフTシャツ等、もろもろを担当してくださってた方です。


菊地さんと話しているといつも思うのが、普通のデザイナー、というよりはご自身独特の世界観をお持ちの方で、デザインすることを目的としているというより、デザインを通じてその先の何かを提示しようとする、そんな印象を持ちます。とても面白い方ですね。





そんな菊地さんに、かつてインタビューを敢行したことがありました。


こちら




短い内容ではありますが、菊地さんの頭の中を一瞬垣間見えるような、そんな気がします*2








さらに興味を持った方へ。








実はこのたび、菊地さんが初の作品集を出されました。






PLAY

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こちら149ページには横浜トリエンナーレのグッズ類もありますよ。





この本は、もちろん作品集としてキレイだし面白いのですが、個人的にはそれ以上に巻末のインタビューが興味深かったです。菊地ワールド全開です。


気になった部分や共感した一部分を抜粋しますと・・・






(菊地氏が「スタジオ食堂」を脱退した後の状況に対して、当時は)


・・・アートをわかりやすくして一般化しようという動きが多かった。でもそれはアート本来の価値ではないはず。安易な説明を加えたり、社会的な価値の中に組み込んでも、誤解しか生まない。アートを伝えるということは「そもそもアートは難しいんだ、難しくないものなんて面白くない、わからないものに向き合って考えるから面白い」ということだと思うんです。超一流のものは論理を突き抜けた強度を持っているかもしれませんが、新しく生まれつつあるものはそこまでの力を持ち得ないし、難解で不可解なのが当たり前。そこにものを考えていく面白みを発見していくことを伝えるのがプロデューサーの仕事だと僕は思う。



ここで菊地さんがおっしゃっている「難解でいいんだ」という話は、その後の「余白をあえて残すデザイン」や「何かが欠如している状況」というものにつながっていきます。



(デザインにおける余白について)


ずっと、余白は空間として設定していて、空間の存在として扱ってました。でも最近は、存在というよりもむしろ欠落として使います。余りの部分ではなくて、あるべきものがそこにない状態、足りてない感じですかね。


・・・


確かに、気持ちいいと思うものには足りてないもののほうが多いですね。むしろ、完成させてしまうことに違和感を感じます。もっといえば、「完成」という考え方自体が工業的だと思うんです。



「完成」という考え方自体が工業的、という表現が絶妙だなと思いました。


常に変わり続け、更新され続けていくものであふれている今の社会ルールを認識して、菊地さんは自身の行為にも反映させていきます。





続きに興味のある方は、是非読んでみてください。




*1:基金を知らなくても菊地さんを知らないデザイン関係者はいないでしょう・・


*2:当時発売の遠近でも一部インタビューが掲載されてます





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