M:一応今年やったいろんな基金事業振り返りませんか?
N:ええよ~。ほな、自分が行ったイベントから話したらええんやろか?
今年行なわれた、主催も助成も含めて、JFがどこかで関係しているイベントだと、東京都写真美術館でのOTAKU展の凱旋展が最初かな。やっぱり(笑)。
あれ?東京国際芸術祭の「壁」と「ジュヌン」ってその後だっけ?あと、ホテル・グランドアジアは観に行けなかったんだった・・・。
そういえば、松岡さんはコリア・ジャパン・ロードクラブフェスティバルでソウルまで行ってきたんだよね。私は家でライブ中継を見てただけ(苦笑)。
ロシア語の現代日本文学アンソロジー・シリーズも短詩型の部分だけ読もうとしたり、歌人や俳人の名前を解読するだけで挫折したり(苦笑)。
東京芸術見本市と「第3回ダンス・フォーラム」は観に行ったし、第10回アジアの漫画展とアジアのキュビズム展はじっくり見れたかな。最近やと、ヨコトリと劇団解体社か。
あー、アラブ映画祭、フラッシュバック/フラッシュフォワード、ファウム・チェンバー・オーケストラにも行かれへんかった・・・。うー、悔しいっ!
M:僕も最近のものでいえば、横浜トリエンナーレに行きました。でも、こう振り返ると基金はたくさんいろんなところで事業をやっているのに、なかなか行けてないな、というのが実感。
皆さんに薦めておきながら・・・
あと、JFが主催したイベントに行ったり、全国各地でいろんな国際交流イベントにブースを出していても、語る自信がもてない、うまく理解できなかった、などなどの理由で、「語れない」ことも良くあるんだけど、そのへんどう?
G: 「語れない」については、私は、たとえば「日本文化」っていう一言に対して、それぞれの人が持つイメージの違いを意識すると、何もいえなくなるような感覚があったかな。それぞれの人が違う認識をしてるのは、ある意味当然なんだけど、「前提」を共有しないと話せないんじゃないか、と思ってしまって、フェスティバルのようなイベントでもそうだし、普段仕事で知り合う人に対してもそうだったし、ブログでもそうだったなぁ。今になって思えば、話してる相手の人が、どんなイメージをもってますか、って、相手に対して興味を示せばよかったのかもしれない。うん。つまり、「『日本文化』って何だと思う?」って聞かれたら、誰だって、それなりにイメージをもってるから、それを「聞く」こと。これを来年は実践してみたいですね(またしても来年への抱負)。
N:まあねー。JFが絡んだイベントについて「ブログで書くこと」=「語ること」って部分もあると思うけれど、「ブログで書いて、その上トラックバックを貰うこと」=「聞くこと」に繋がるといいな、なんて思います。
国際交流関連のイベントだと、日比谷公園で行なわれた国際交流フェスティバルに松岡さんとブースを出展したっけ。
そのときでも、自分がJFの全事業を知っているわけではなくて、お客さんに聞かれた時に簡明には説明できないんだよね。ブログだと、事業について調べたり、それを自分の中で纏めたりする時間があるわけだけれど、説明する相手が目の前にいると、ノータイムで返答しないといけない。
で、ついついJFや文化や交流についてカタってしまったり、そのせいでちょっとヒかれたり(苦笑)。
ブログで実践しようとしていることではあるけれど、JFについてカンタンでウマく説明できるようにしたいよね。同時に、外務省やJICAやJETROやJBICくらいには、JFもちゃんと注目してもらえるようにならないといけないんじゃないかって危機感はかなり強いよ。
なんていうのかな、そもそもJFを知ってもらいたいし、その上、JFの中身も知ってもらいたい、なんてちょっと欲張りかもしれんけど(笑)。
M:なんかみんないいこというなー(危機感・・)。(´;ω;`)
後藤さんの「聞くこと」というのは大事ですよね。「何かを伝えたい」と思った時に一番大事なのは、「相手の話をいかによく聞くか」なのではないか、ということを感じますねー*1。
中島くんの「知ってもらいたい」というのは、僕も全く同感です。意義を共有したい、とか共感して欲しい、という思いはあるんだけど、何よりも「知られてなければ共感のしようもない」というのはありますね。まあJICAとかJBICの方と話していても「まだまだ知名度低い!!」とおっしゃってますが。
ブログの場合は、一方的にマスに向かってだーっと情報流すのではなくて、コミュニケーションをするという点に価値があるわけで。
(続く・・・)
No comments:
Post a Comment