皆さんこんにちは。Mです。
うちは暦どおりのお休みなので、この週末は3連休でした。
私は関西方面に行っていろんな人に会ってきましたが、今日ご紹介したいのはこの方!
リトアニア盆栽連盟会長 ケストゥーティス・プタカウスカスさんです。*1
プタカウスカスさんは、リトアニアのご自宅にとてもすばらしい日本庭園を自分で造っただけでなく、盆栽やその他日本文化を広くリトアニアで紹介する活動をしていらっしゃいます。
2009年10月5日(月)~10月19日(月)の日程で「国際交流基金文化人招聘プログラム」の一環で日本に滞在中のプタカウスカスさんに京都でインタビューした内容を数回にわたってご紹介します。
―まずは、盆栽との出会い、最初のきっかけを教えてください。
リトアニアがソ連支配下にあったとき、ソ連軍として自分の意に反しアフガニスタンに派兵*2されました。その時の経験は、とてもつらく私は大きな心の傷を受けました。帰国後3ヶ月くらいはほとんど眠ることができず、医者に行っても「結婚すれば治りますよ」と非常に冷たい対応を受けました。私は心を閉ざし、とにかくたくさん仕事をすることで気を紛らわせようとしたのです。
そんな状況が続いていた1988年、友人が「ボンサイ」と書いたプレートのついた小さい鉢植えをくれました。その時、自分の心がとても揺れたのを感じたのです。今思えば、それは偽モノのボンサイだったのかもしれないのですが、小さな生き物である植物が小さい鉢で育てられていることに興味を持ちました。
当時は資料がほとんどなかったので、山採り*3も自己流でしたし、針金がなかったので糸を使ったりして、盆栽を始めました。はさみも普通のはさみでしたよ。
当時は、工業用洗濯機の部品を作るエンジニアだったんですが、帰ると盆栽作りに励んでいました。でも、それでもまだ心は100パーセント落着いた状態ではありませんでした。
そして、1996年リトアニアの海辺、パランガ市を歩いていたとき、偶然小さい日本の庭園の写真を見たのです。その時、また心が揺り動かされるのを感じました。言葉にできないものを感じたのです。そして、日本庭園を造ろうと思ったんです。
それからは、昼夜かまわず庭を造ることに没頭しました。当時インターネットの時代になりつつありましたので、ネットでも色々情報を集めて、自然の木や石を集めたんです。
この庭は2002年に完成しました。毎朝30分から1時間庭で瞑想するようになっていたのですが、その時もまだ1日4時間くらいしか眠ることができなかったんです。
ある日のこと、瞑想の途中に鳥が飛んでいるイメージが頭に浮かんだんです。そのあと、盆栽の手入れをしていたら、空から鳥が飛んできて、私の近くにとまりました。私が手を差し出したところ、鳥が私の手の上にとまってくれました。その時、私はその鳥は神様の使いではないか、と思いました。そして、神様がすべてを許してくれた、と感じました。
それからは5-6時間眠れるようになりました。盆栽も日本庭園もいわば未完成なものでもあり、まだまだやることがたくさんあると思うと心が落着きます。
つづく・・・
*1:左。右は早稲田大学アジア太平洋研究科の修士課程在籍中のリトアニアからの留学生ゲレザウスカス アンドリュスさんです。
*2:1979年から10年間行われたソ連軍の軍事介入。プタカウスカスさんは一番最初にアフガニスタンに入る兵として派遣されたそうです。
*3:盆栽用語。山野にある自然木を採集して鉢などで根づけさせること。
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