お久しぶりです。三富です。
ブログチームに参加し、早1年と1ヶ月。
第2期ブログチームの始動とほぼ同時に、ブログノートなるものをつくり、毎月の編集会議の内容や、取材メモ、記事の構想などを書きとめていました。
その記念すべき1ページ目に記された取材メモが、第16回開高健記念アジア作家講演会シリーズ、シンガポールの華人作家・丁雲さんの東京講演でした*1。
それから1年を経て、第17回開高健記念アジア作家講演会「中国と私の文学の道-小説を書き始めた頃- 李鋭(リ・ルエイ)講演会」 が11月6日(火)、ジャパンファウンデーション国際会議場で開催されました*2。
冒頭、コーディネーターの毛丹青(マオ・タンチン)さんより、次のような挨拶がありました。
この講演会は、皆さんがアジアのなかの中国を知るチャンスであると同時に、中国が日本を知るチャンスでもあります。先ほどご紹介した情景のような、ごくありふれた情景が一人の中国の作家の好奇心をそそり、また旅先においてインスピレーションを与えるのです。
毛さんの言葉どおり、私たちにとって、1人の中国人作家の人生のほんの1コマ(ただしとても重要な1コマ)を通じて、中国についての理解を深める素晴らしい機会となりました。
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講演では、文化大革命期の上山下郷運動(下放)によって、山西省呂梁山の寒村に送られ、“天国から地獄へ”とご本人自ら形容されるほどの急激な変化を経て、厳しい農村の現実に絶望しながらも、逆境をバネに執筆活動に熱意を注いだ李鋭さんの「小説を書き始めた頃」の記憶を辿ります。
― 1969年1月12日 北京を離れ、山西省呂梁山へ
北京を離れ、生産大隊に入って3年。「一生労働者として生きていくこと」を覚悟した時。だからこそ、何か人に認めてもらえる証を、そしてまるで犬同然のように扱われる自分が真っ当な人間であることを示すために、「書くこと」を決意したそうです。
李鋭さんの決意は、長兄に宛てた手紙に現れています。
「自らの作品が発表されることがない限り、北京には戻らない」
そして、長兄にも漏らさなかった思いを吐露してくださいました。「発表される作品を亡き父母に捧げたいと思った*3。あなたの息子は消して意気地なしや出来損ないではないことを伝えたかった。」
冬場の農閑期も村に残り、何枚も何枚も服を着込んで寒さに耐えながら執筆活動に専念した李鋭さん。執筆を決意した1972年からの1年間は、初稿を書き上げてからも、7回8回と書き直しを繰り返し、原稿の総文字数は8万文字を優に超えたといいます。
― そして、1974年。
ついに作品が雑誌に掲載されることが決まったとの通知を受けた李鋭さんは、その時の気持ちを「狂おしいほどの喜びと同時に、深い深い悲しみを感じた。」と顧みます。
その年の冬、はじめて戻った北京の実家で、作品が掲載された雑誌を父母の霊前に飾り、頭を深くさげ、人目も構わず思いのたけを涙として流したそうです。
文化大革命という歴史の波に翻弄されながらも、自らの運命に「書くこと」で抵抗しつづけた李鋭さん。
呂梁山での記憶を振り返りながら、小説を書きつづけることは、人生や運命への抵抗、そして歴史に埋没されることに対する抵抗であると、講演をまとめていらっしゃいました。
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質疑応答の場面でも、参加された方々からは、「毛沢東は、文革で何を目指したのか?」「文革の本質とは?」「中国は文革を乗り越えて、何を目指すのか?」などと文化大革命に関する質問が集中しました。
「文革を経験した中国の文化人で、文革のことを笑いながら話す人は1人としていない。」との、コーディネーターの毛さんの言葉に、私たちにとっては教科書で学んだ歴史の一幕であっても、その時代に生きた中国の人々にとっては、正に骨に刻み込まれた忘れえぬ記憶であることを痛切に感じました。
李鋭さんは、11月15日まで日本に滞在されます。すでに大阪、東京でも講演をされていますが、今週末には仙台、函館の2都市でも講演会が開催されます。お近くにお住まいの方は是非、足を運んでみてください。
- 仙台「永遠なるものと消えゆくもの」
平成19年11月10日(土)14:00~16:00
会場:仙台文学館(仙台市青葉区)
URL:http://www.lit.city.sendai.jp/event.html#kaiko2007
- 函館「漢字による自己表現」
平成19年11月11日(日)14:00~16:00
会場:函館市中央図書館(函館市五稜郭町)
URL:http://www.hif.or.jp/2007/09/111117.html
講演後、サインに応じる李鋭さん
*1:第16回講演会の様子は、こちら→漂流する新人職員、丁雲氏の講演会に出没
*2:tokyo-fashionさんが興味深いエピソードを書いてくださっています(こちら)。ありがとうございます!また、以前余華さんを招いたイベントに参加してくださったMarieさんが、李鋭氏の作品の感想を書いてTBくださいました。ありがとうございます~♪
*3:李鋭さんのご両親は、下放によって呂梁山に送られた後すぐに、相次いで他界されたそうです。
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