連続登場のおひさまです。
1995年1月17日から15年を迎えた神戸。先週末は各種記念番組や特集記事を目にする方も多かったのではないでしょうか。
様々なメモリアル行事の中に、ジャパンファウンデーションが関わっていたものもあります。前日の1月16日に開催された、「復興の智恵を共有・発信する 神戸・ニューオリンズ復興地区交流会」です。ご自身も神戸出身の担当ATさんにちょこっと取材!
おひさま(お):出張お帰りなさい!さっそく概要から聞かせてください。
AT:神戸、ニューオリンズは先進国の近代都市が、災害により壊滅的な被害を受けるという稀有な体験を共有する都市です。神戸がどのようにして復興していったのか、いつ頃、どんな問題が発生したのかという経験は、現在も復興に取り組んでいるニューオリンズの人々にとって重要な情報ですし、ニューオリンズの経験から神戸が学べることも多くあります。
今回は、これまで日米センターが継続してきた*1神戸・ニューオリンズ交流を振り返るとともに、今後両市民が、お互いの復興の経験・課題を共有・発信していくメカニズムを作ること、また持続可能で自主的な<地域間協力>へと繋げていくことを狙いとして、鼎談と意見交換に続き、神戸とニューオリンズそれぞれ5つの地区・団体と「相互交流協定」の締結が行なわれました。
お:神戸出身の坂戸理事が冒頭の鼎談に参加されていますが、どんなことを話したんでしょうか?
AT:基金の坂戸理事はハリケーンカトリーナが発生した時にちょうどニューオリンズ総領事*2を務めていて、どのようにニューオリンズと神戸の交流のイニシアティブを取るに至ったか、また両都市が抱える共通の課題や相違点について話しました。
参加した神戸の方々からも、偶然にも神戸出身の坂戸理事がニューオリンズ総領事だった際に、両市の交流を始めたことに感銘を受けたなど多数感想が寄せられました。
お:ニューオリンズからも関係者の方がいらしたんですよね?
AT:ニューオリンズのHoly Cross地区やベトナムコミュニティーなどから、まちづくりのリーダーをお招きしました。神戸側は長田区御蔵地区、灘区六甲地区など4つの地区と、復興支援に取り組む市民団体の方に参加いただき、「相互交流協定」を締結しました。
今回の交流会をふまえて3月20-22日に「世界災害語り継ぎフォーラム」を行なう予定で、この協定の成果についても発表されます。
(神戸新聞の記事)
お:美人ソプラノ歌手が登場した噂も聞きました。
AT:交流会後の懇親会で、自らも被災者であるソプラノ歌手、丸山依里さんが「しあわせ運べるように」という震災の応援歌を歌ってくれました。
私自身にとっても、担当事業というだけでなく、一番多感な時期に経験した震災、これまで何もできなかったことへの反省と神戸への恩返し、クラスメイトの追悼といった様々な意味があり、大げさかもしれませんが、私の<人生>にとって大変大きな意味を持つ2日間でした。
こうした取り組みをする一方で、ハイチでもまた大規模な地震が起こってしまいました。物理的にも、精神的にも、復興には長い時間がかかります。自分にできることは何か?基金にできることは何か?国際交流が果たすべき役目まで問われる宿題だと思っています。
↓災害復興に関しては他にもこんな取り組みがあります。
★国際文化交流と災害復興~中国四川省大地震被災地における高校生交流報告を中心に~
★公開セミナー「アチェ 津波と紛争からの復興~文化と芸術が果たす役割」
*1:2005年8月末、ハリケーン「カトリーナ」が米国東南部を襲い、ニューオリンズは市域の約8割が洪水被害に。日米センターの取り組み例はこちら→「ニューオリンズ:神戸の復興経験に学ぶ」「ハリケーン・カトリーナ災害復興協力のための日米対話プロジェクト」「震災語り継ぎひまわり団ニューオリンズに行く」「文化による災害からの復興・防災に関する日米対話事業」など
*2:ニューオリンズ総領事館は2008年にナッシュビル総領事館に移転しました。
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