Thursday, May 3, 2007

日韓文化交流の最前線を見た



こんにちは。三富です。ゴールデンウィークも終盤戦、皆さんはいかがお過ごしでしょうか。





先日お知らせしたJFサポーターズクラブ4月のイベント「国際文化交流最前線の舞台裏 ― 海外事務所の一日 韓国編」が4月21日に行われました。





国際交流基金についてJFサポーターズクラブ会員の方々と職員とが一緒になって考えていくことを目的に開催されるJFSCイベント「国際文化交流最前線の舞台裏シリーズ」ですが、好評だった第1回の「ジャカルタ日本文化センターの一日」に続き、第2回目となる韓国編では、本田さん、一寸木(ちょっき)さん、町田さんの3名がそれぞれの波乱万丈の韓国駐在経験をもとに、日韓の文化交流事情について語ってくださいました。





韓国といえば、日本文化開放以前は公に日本映画や言葉などが規制の対象とされ、また日韓関係が大きく改善した2002年の日韓ワールドカップ共催、それに続く2005年の日韓友情交流年以降も竹島問題や歴史教科書問題などで度々両国関係が困難な状況になった経緯は皆さんもご存知のとおり。





メディア上では韓国における上記の問題に関する抗議運動の様子などを目にすることもしばしばですが、日本においても、内閣府による外交に関する世論調査から、日本国民の対韓国感情の劇的な変化が見て取れます。


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内閣府大臣官房政府広報室『外交に関する世論調査』





国際交流基金の第19番目の海外事務所として2002年にソウル日本文化センターが設立された前後は、まさに日韓関係が大きく変化したときでもありました。





1997年~2001年にかけて、在韓国日本大使館に出向し文化交流全般を担当していた一寸木さん。


2001年~2004年までソウル日本文化センターに駐在した本田さん。


2002年9月~2005年8月まで、ソウル日本文化センターで専門調査員として勤務された町田さん。





それぞれが見た、そして体験した、日韓交流とは・・・ 


3名のお話の中で特に印象的であった一言で綴ります。









一寸木さん:


(韓国駐在中の思い出深いエピソードとして、ある韓国人教授の言葉を引用して)


「日本語に一生を捧げることを決め、大学院などで日本語を専攻する学生は、歴史教科書問題などが起こると大学のキャンパス内で非常に肩身が狭い思いをしている。教員として、学生が日本語を専攻することに誇りをもてるような環境にしてやりたい。」との先生の言葉に、日本人として考えさせられた。




本田さん:


相変わらずの日韓関係の不安定さを乗り越えるには、どれだけ個別の信頼関係を築き上げていくことができるかが重要。




町田さん:


(自分の担当した事業「料理と漫画で本格的日韓食文化に親しむ」が、その後も漫画家同士の交流や韓国における漫画のイメージを変えるなど大きく発展していく様子をみて、)


自分と他のスタッフの撒いたタネが大きく育つ歓びを実感した。






日韓両国の間に横たわる根の深い問題を乗り越えようと行動する人々の間に築き上げられる個別の信頼関係。その1つ1つが、他の人を巻き込みながら、大きく成長することで日韓関係が着実により良い方向にすすんでいくのでしょう。


厳しくデリケートな日韓関係の歴史的経緯を伺いながらも、3名の言葉から、将来にむけた決して小さくはない希望を感じました。





さて、当日イベントに参加された方からは、こんな声が聞かれました。






2001年の後半に留学した際には、竹島問題の影響などを直接経験することはなかった。日韓関係の変化について知ることができて大変興味深かった。




韓国に留学した経験があり、国際交流基金の仕事にも関心があった。


日韓関係が比較的良好な時に留学を経験したため、私自身はそれほど苦労することはなかったが、今回のお話を伺って、こういう方々の陰の努力があったからこそ今日の日韓関係があるのだということを強く感じた。






普段は舞台裏で黒子に徹している国際交流基金の職員ですが、国際文化交流最前線の舞台裏で活躍する職員が語る、黒子だからこそ見えるスポットライトを浴びていない影の部分についてのお話は、大変興味深く、また強く胸に響きました。





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