Tuesday, March 13, 2007

文化芸術、咲き乱れ?






みなさんこんにちは、オレペコです。


暖冬暖冬といわれ続けた今冬、ここにきて肌寒い日が続いていますがみなさんいかがお過ごしでしょうか? (o^∇^o)ノ





ジャパンファウンデーションの文化芸術交流事業は3月初旬から、春まっさかり! 


先日ご紹介したイルホム劇場(ウズベキスタン)の『コーランに倣いて』に引き続き、今週15日(木)から18日(日)までは、ファミリア・プロダクション(チュニジア)の『囚われの身体たち』、23日(金)から27日(金)までは、ラビア・ムルエ氏(レバノン)の『これがぜんぶエイプリルフールだったなら、とナンシーは』の舞台があります。


また、先週金曜日からは恒例の アラブ映画祭 を開催中!普段なかなか見られない作品をまとめて見られるチャンスです。ぜひぜひ足を運んでみてくださいね。 


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実はオレペコも、土曜日にウズベキスタンの舞台を見に行って、非常に刺激的な週末を過ごしたわけですが、実際足を運ばれて感想を書いてくださっている方がたくさんいらっしゃるようですのでいくつかご紹介したいと思います。





まず、俳優さんたちのダンスもさることながら、音楽に感動した という声がたくさん聞かれます。


たとえば、BIGJOHNNY99さんは、



(前略)・・・俳優の演技を凌駕する存在感に満ちていたのが、アルチョムの音楽。なんというか、<セントラルアジアン・オリエンテッド・プログレッシブ・ロック>と勝手に命名してしまったのだが、ウズベキスタン、中央アジアの伝統的旋律や歌唱法をがっちり生かしつつ、それをプログレのような重いビートに乗せてしまうあたりがなんだかやっぱりタダ者ではない。文句なく音楽はカッコいい。まあこっちは日本人で<コーラン>というテーマに対する認識が薄いせいもあるが、正直いうと、音楽が完全にパフォーマンスをリードしているように見えた。


SHINE THE LIGHTより



と書いていらっしゃいます。確かに、コーラン自体やプーシキンの『コーランに倣いて』という長編詩に関する知識がない場合、誰もがすっと理解できるほど簡単な内容ではないなあとオレペコも感じました。でも、音楽は、力強く、そしてとてもまっすぐと心に迫ってくる印象を受けました!





続いてtomo9_2006さん。



全体にわたって音楽(アルチョム・キム)が重要な位置を占める。ピアノ、ベース、ギターに金属廃棄物などのパーカッションが硬質なビートを刻む。そこへ、イスラムの伝統的なスタイルの歌唱が乗ることで、語り部の存在感がより引き出されている。映像、ダンスなどがとてもバランスよくて、娯楽性も兼ね備えた美しい舞台だった。


TOMONOTEより



他に多かったのは 「多次元性」、「重層性」、あるいは「距離感」といったキーワードを使って、舞台の演出について書いてくださっているもの。


たとえばいっち~さん。



映像と音楽、身体表現が複雑に折り重なるような舞台。


映画監督が映画を撮る…という設定からコーランにあるのであろう内容との境目がなくなっていきました。





劇中劇のような中(実際、映画監督が撮っている映像がリアルタイムで流れる)で、一定の距離感・客観性があるはずなのに、同時に、映像とそこで行われている身体が表す物によって、まるで合わせ鏡の間に連れて行かれるようで…ふと気付くともう合わせ鏡に囲まれているような(実際に舞台上には合わせ鏡もある)距離感になっていて、どれが何なのか、どれが実像なのか…よくわからなくなりました。





舞台上で同時に行われている映像とパフォーマンスも、リフレインになっていたり補い合っている時もあれば全く矛盾している時もあって、ただ…言える事は、矛盾したままでも確かに「そこ」には存在していて、おそらく矛盾そのものはそれほど問題じゃないんだろうなぁ。


橘月より



yochuさんも同じような視点から感想を書いてくださっています。



詩人で映画監督という設定の人物が、映画を撮るためのオーディションを行うシーンから始まります。役者さんたちが入ってきて、同じセリフを次々に口にしていく。カメラが回っていて、その映像がスクリーンに映し出される。あるいは舞台上にある鏡にその様子が反映する・・・という具合に、多次元の空間となっていて、また、役者が役者を演じるというこれまた二重の層になっていて、視点がブレるギリギリのところにいる感じでした。





そもそも、コーランを下敷きにしたプーシキンの長編詩をさらに映画のシナリオとして読んでいる・・・というところも、空間的多層性と併せて重層的で、何が真のテクストなのかと思う瞬間もあります。しかし、あくまでも軸となっているのは、プーシキンの詩だということ(演出のマルク・ヴァイル氏によれば)。ダンスシーンも見ごたえあるし、ムダなくリズミカルに展開される舞台は、目が離せませんでした。


ロシア文化情報Knigaより



実は今回のイルホム劇場の舞台は、日本で初めて本格的に中央アジア現代演劇を紹介する機会となりました。


この事業の担当者のひとりが


 「最終的には、作品の力で、お客さんが集まってくれました。素晴らしい作品に出会えて、私自身、幸運でした。」


と漏らしていたのが印象に残っています。





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