Thursday, April 13, 2006

理事長講演会のこと




こんにちは、後藤愛です。

先週火曜、4月4日の夜に、新しくオープンしたJFIC(←「ジェイフィック」と読みます)の一角にあるセミナールームを使って、理事長と若手職員が意見交換をする会がありました。*1











テーマは、「 『鹿鳴館』とは何だったのか?」ということで、明治初期に日本が開国し、近代化を進める中で必然的に行なわれた「西洋化」を、開国前までに築かれてきた「日本的価値」との関係でどのように考えるか、というもの。





(理事長の語ったことは、理事長に知的所有権があるので、ここで詳しく書くことはできないのですが、、、)歴史の授業で華麗な挿絵つきで習った「鹿鳴館」とは、歴史上のことかと思いきや、実は、今日にまでつながる、奥深いテーマなのでした。





開国直後の日本人にとって、「世界」とは、「欧米列強」のことであり、彼らと極力対等に話し、交渉するためには、彼らの言語、手法、にあわせる必要があったんですね。

その努力の1つとして、外交のためにダンスパーティを催す場所である*2鹿鳴館が作られ、使用されたわけです。





今でも、異なる価値・文化の人たちと交渉したり、貿易したりするときには、言語や、話し方、マナーなどを共有しないと、対話はできないと思います。少なくとも、非常に話しづらい。それを、どこまで相手の文化に合わせ、どこまで自分の文化・やり方を貫くか、というのは、毎回の人との出会いのなかで、終わりのない問いなんだと思います。





例えば、小学校からの英語学習が本格化するということで、日本語もできないうちから外国語を教えるなんて日本語ができなくなるのではないか、とか、日本固有のものの捉え方ができなくなってしまうのでは、という反対意見があるとよく聞きます。





これまでも小学生に社会で安全に暮らしていくために横断歩道の渡り方を「右見て左見て」と教えてきたのと同じように、安全かつ便利に生きていくための1つの手段として必要なのでは、と思いました。この、グローバル化して、人の行き来も激しいし、お隣さんに日本語が通じないご近所も実際たくさんでてきています。そんなときに、より多くの人と、話のできる人間になっておくのは、決して悪いことではない、いや、むしろ本人にとっても可能性が無限大に広がってゆく、楽しいことではないかなと思うのです。(そう信じているからこそ、国際交流の仕事をしているわけですが)





そういう意味で、明治初期の日本人が直面した、「どこまで西洋化するのか」という問いは、今日の私たち一人一人の行動にも、「どこまで世界のものを取り入れ、どの程度『日本人らしさ』を持ちつづけるべきなのか」という問いとして、生き続けているのではないでしょうか??




*1:主催は、JFの組合(私や松岡くんは委員をやっています)でした。理事長自ら、こうしてスタッフと意見交換する機会があるドクホウ(=独立行政法人)って、面白いですよね?


*2: ほかにも目的はあったのかもしれませんが、主な目的としては社交?ですよね





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