最近、日本語や敬語について考えるような本やテレビ番組が増えてきてますね。
ビナードさんやトニーさんの文章*1を読むと何となく、言葉についての遊び心や快楽のようなものをくすぐられることがあります。
もちろん、彼らと同じように意識しつづけることは難しいし、意識してたって文章がおかしくなってしまうことだってよくあります*2。しかも、もっと細かいことかもしれないけれど、日本語であれ外国語であれ、発音や言葉の使い方の違いで意味が通じなかったり誤解されたり・・・。
でも、その細かい差や間違いで失敗することも言葉の面白さなんじゃないかな、と思っています。
例えば、日本語で、モノやヒトの存在を示す動詞に
- ある
- 在る
- 有る
- いる
- 居る
とヴァリエーションがありますけれど、それぞれ意味の微妙な差異ってありますよねー*3。
「窓を開けたら一面が銀世界でアル」*4だったら「ある」と「有る」と「在る」と、どれが一番しっくりきますか?
日本語でも外国語でも言葉の差異が彩だったり才だったり際最祭細賽災蔡栽債采碎切偲晒財哉菜斎洒載だったり、そういうものも言葉や文化の面白さ---なんて出来杉君でしょうか。
そういう差異に対するセンスや遊び心を持ちたいと思っていて、かえって考え込みすぎてブログの原稿が書けないんですけれどね。遅筆、フォー!*5
*1:トニーさんについていえば、ご自身の文章や「ダーリンは外国人」に現れる姿
*2:後で読み返すと赤面するくらい、わかりにくくてヘタクソなメールや決裁案を書いてしまいます。ブログもしかり。
*3:他にも「存する」とか「ゐる」とか「おる」とか・・・
*4:ここで話しているのは「らんま1/2」のシャンプーではない。
*5:松岡さん、こんなんでいいッスか・・・?
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