Monday, December 26, 2005

今年もお世話になりました 1






松岡(以下、M):


今年も今週で終わり。ジャパンファウンデーションは12/28(水)が仕事納めの日です。


このブログも9月から初めて4カ月経ちました。何とか4カ月乗り切ったって感じですかね。まだまだ、最初の目標(文化交流の楽しさをみなさんといっしょに発見していく)には程遠いかなとは思うのですが、たくさんトラックバックをもらってコミュニケーションができたり、少しずつですが目標に向かって進めているかな、って感じでしょうか。





後藤(以下、G):


あっという間の3か月でしたが、書きながら、少しずつ、個人としてのコメントを書くよう心がけてました。なんだか疎遠な感じの、「組織」⇒から⇒「世の中」へ、的な文体になっていたことに気がついて(きっかけはほかの2人が崩れ始めたころ・・・)、やっぱり人間性が見えたほうが、同じ人間として興味をそそられるなぁ、と、一読者として、思ったわけです。それにしても、特に中島くんは、あそこまで崩れるとは、思ってもみなかったけど・・・!





中島(以下、N):

えー、ブロガーとしては別に崩れてへんよー?公的機関の公式ブログを書くマジメな*1一職員としては明らかにオカシイけど(苦笑)。


私の場合にはJFでの仕事が文化にも国際交流にも直結せえへんから、個人的な趣味や経験からしか書かれへんかった。まあ、そういう与太話がきっかけでJFに関心を持ってもらえるならこの方向性のままでいいとは思うんだけれど、もっと読んでもらえるようにはしたいなあ。





M:そうだねー。「文化交流のオモシロサを!!」といったって、読んでもらえなかったら意味ないし。


だいたい、一日中パソコンの前でジーッとしてたら、与太話の引出しもなくなってしまう。だからこそ外へでていかなければ。


で、


今年1年を振り返って一番印象に残っているのは?


どう、後藤さん?





G:(なんか、その松岡くんの「で、」って、ブログで11月ごろから急に頻発するようになったよね、強引に話題を展開したいときに・・笑)

印象に残っていること、か・・・ちょっと真面目路線だけど、8月の韓国出張*2が大きかったです。仕事上、通常「日米」*3で特殊だったということだけでなくて、個人の感想としてもすごく大きいものだったんです。


なぜかといえば、学生のときに、国際関係論を学んでいて、板門店で向かい合う北朝鮮と韓国の兵士の様子などは話に聞いていたつもりだったんだけど、やはりその場に行ってみると、リアリティが全然違う。ソウルから板門店にバスで向かう高速のすぐ西側に途中から川が流れてて、そこは北から川を超えてくる人が今も月に何人も発見されている、という話でした。あと高速の所々で頭上に大きな看板があって、それは爆発するとコンクリートが崩れ積もって、戦車も通れないようにする、とか(すべてガイドさん談)。これがソウルからバスで30分も行かないあたりにあるんです。東京からすれば、埼玉くらいの感覚じゃないでしょうか。とにかくリアルです。こういうところを見ずして、「地域の安全保障」とか「国際的な信頼醸成」とかは、分からない、と気を新たにしました。うんうん。


・・・って、語りすぎ?


私が書き込むと、いつもカテゴリが「知的からの」になるんで、ついつい語ってしまったりして。来年はこのあたりをもう少しソフト&自然にしていきたいですね。はい。


じゃ、つぎ中島くんどおぞ!





N:ん、私?・・・何もないなー(苦笑)。このブログが私にとって、仕事上の一番の変化だったし、印象には残ってるかもね。




M:というのはどういうことだい?中島先輩が書いたときはアクセス数、ギュンッってあがるよねー*4。さすが!!





N:また同期やのに「先輩」とか言うて、相変わらずヤラしいなー(笑)。


まあ、人事課の業務だけをやっているよりは、職場での生活に少しの変化があるっていうんかな。


あと、アクセスが増えるのは嬉しいよね。でも、それは私の仕事がJFの事業と直結してないから、自由に書かせてもらえたおかげなんやと思う。お陰様で職場内の後ろ指さされ隊になったけれど・・・orz


で、松岡さんはどないよ?





M:そうだねー。僕がいる「情報センター」っていう部署では広報が一つの主要な業務であるんだけど、いずれの業務もなかなか型から抜け出せなかったというか、例えば「冊子を作る」ということが目的になってしまっていて、その冊子を「何のために作るのか」という部分が、若干忘れがちになってしまっていましたね。


最初のうちは、ありきたりな情報提供的なことが多かったんだけど、そのうちネタもなくなってきて、その段階に達してようやく「自分を出して」語れるように、少しずつなったというか。

ブログの場合、もともとの型がなかったので、目的を意識しながら*5、考えながら書いたりできてきて。これもまだまだ達成途中ではありますが。


そういう意味で、いろんな基金イベントはあったけど、改めてやっていることを伝えることが難しいなー、と凄く実感したのが一番の印象かな。


だって「知的交流」って、内容自体が専門分野バリバリで職員の僕でさえ理解できないのに、それをどうやってわかりやすく伝えればいいのか、とか。

後藤さんは何の疑問もなく使っている言葉*6が、僕にとっては「???」なことは多多あるんですよ、知ってた?





G:え、なんだろう・・・今頃言うなんて、ちょっとヒドイ!!その場で言ってくれればさらに語ったのに~~。


 でもたしかに、松岡くん、一理ある。同じ職員どうしでも、しかもこれだけ一緒にブログチームやってても(オフで顔をみるのは、平均したら週に1回、15分くらいかな)、こうやってコミュニケーション不足になることもあるわけだから、ブログだけ読んでくださってる皆さんにとっては、なおさら、「???」なこともあったことでしょう。


そもそもブログ初心者な私にとっては、「トラックバック」とか「フォトライフ」とかが「???」でしたけど。。


(語ってたら長くなってきましたので、続きはまた明日・・・)




*1:ここが大事


*2:9月16日ブログにも書きました


*3:後藤は「日米センター」に勤務してます


*4:毎日チェックしてします。


*5:どんなこと知りたいのかな、どんな口調で書けばいいのかな、とか。


*6:いろんな横文字とかその略語とか





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