みなさん、こんにちは。三富です。
今年4月に華々しく中国・成都にオープンした「ふれあいの場」。
四川省の省都であり、歴史的遺産も豊富で、国家歴史文化名城にも指定されている成都は、海外の文化についても幅広く受け容れる土壌が備わっているといわれます。
そして、この成都に、J-POPやファッションなどの最新の日本情報を提供する場、また日中の市民交流活動の拠点としての「ふれあいの場」第一号が開設されました。
開設までの約3ヵ月にわたる奮闘の様子を、今日から「ふれあい奮闘記シリーズ」として担当の佐治さん(日中交流センター)に語っていただきます。
第1話となる今日は、着任早々、慌しく成都へ出張するまでをお届けします。
● The Begining・・・
中国の至るところに日本の文化センター(「ふれあいの場」)を作るという構想自体、はじめに聞いた時は夢のような気がした。
当時はふれあいの場事業に自分が係わるということは夢にも思ってなかったので、まあ、そういうこともいつかは可能なのかな?というぐらいにしか考えていなかったが、実際に「ふれあいの場」第1号拠点を中国の成都に作る事業に係わることが決まった時に、全く夢としか思えなかった事業が、自分自身の係わり如何によって実現するかもしれないという、チャレンジ精神を掻き立てたことは間違いない。
しかし途中からの参加であったため、如何せんどこまで作業が進んでいるのかがわからない。情報不足!更にオープンが3月中とあって、参加した時点ではもう11月も下旬に差し掛かっている。間に年末年始があったり、中国では2月が旧正月(春節)もあることから、実際にオープンするまでに使える期間は3ヶ月!
まず何をしたか。情報収集である。とにかくそれまでの主担当者から情報を聞き出し、更にそれまでこの事業に関係ある外部の人たちに片端から会うようにした。とは言ってもほとんどの関係者が中国にいることから、着任早々、中国の成都に飛んだ。
中国自身、それまで3回くらいしか行ったことがなかった。ましてや四川省の成都のように内陸部ともなると、全く中国のどこにあるのかも想像すらできなかった。パンダや激辛四川料理くらいしか思い浮かばない。
ガイドブックも買う暇もなくそのまま上海経由で成都へ。もう既に11月末ともなると、肌寒かった。
今回の大きな任務は「ふれあいの場」の建設予定地となっている建物のオーナーである中日友好会館と実際にプロジェクトを進めるのか、進められるのか、作業工程を確認し、お互いで合意をすることである。
それまでメールや電話でしかやり取りをしていなかった人たちと会うのも楽しみだったが、写真でしか見たことがなかった建設予定地を実際に見るのも楽しみだった。
上海経由で成都に到着。着いたのは昼過ぎだったが、空は厚い雲で覆われ、天気は正直言って良くなかった。後からわかったことだが、成都は1年中ほとんど晴れることはない。日中、たまに日光が雲の隙間から覗くことはあるが、稀である。この時から4ヵ月後の「ふれあいの場」の開設日は珍しく晴れた。
夢のような構想を現実のものとするため、4ヶ月後の開設を目指し、日本と中国とを往復する多忙な日々を送った佐治さん。
幾多の困難をいかにして乗り越えて、2007年4月の開設にこぎつけたのか?
第2話をお楽しみに。
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