こんにちは、後藤愛です☆ミ
松岡くんは先週土曜からウィーン出張ということで、木・金はたまっている仕事を死ぬ気で片付けてました。無事に旅立ててよかった!!
さて、私はというと、先週金曜は、日帰りで京都に行き、「立命館京都アメリカ研究夏期セミナー10周年記念講演会・シンポジウム」を傍聴してきました。*1そこでのハーバード大学入江昭教授の基調講演が大変興味深かったので、少しだけですがここで紹介したいと思います。
少しでもアメリカ研究や歴史研究に携わった人にはすでに大変なじみの方と思いますが、入江先生は日本の高校を卒業後、アメリカに渡り、1961年にハーバード大学にて歴史学博士号を取得され、以後シカゴ大学歴史学部で長年教鞭を取られたあと、1989年からはハーバード大学歴史学部教授。今は立命館大学の客員教授でもいらっしゃいます。
入江先生は「トランスナショナル・アメリカ」というタイトルで、「トランスナショナル」*2を、これからのアメリカを読み解くひとつのキーワードに挙げられました。グローバリズムとの理論的対比もあったのですが、特に印象深かった点を紹介します。
アメリカにおける「アメリカ史」は、特にヨーロッパとの対比において、伝統的に例外主義(Exceptionalism)と、勝利主義(Triumphalism)に特徴付けられると言われます。つまり、他国は皆失敗してしまったことを、アメリカは「例外的に」達成した、という考え方です。例えば自由の獲得、民主主義の徹底などが「勝利」として説明されます。
この伝統に対し、現在、アメリカの歴史を世界史の中で相対化する動きがあるそうです。例えば、2006年度のアメリカ全土の大学においては、アメリカにおける黒人の闘争史、ジェンダー史、移民受入の歴史などアメリカ史そのものを扱う講義と比べ、「世界の中のアメリカ」という相対的史観を扱う授業への教員募集が増えているといい*3、入江氏はこれを「革命的」と表現します。さらに、アメリカの出版社からも「グローバル化とアメリカ」「トランスナショナルなアメリカ」などといった企画が既に複数立ち上がっており、3,4年後にはこれら企画の成果として、こういった図書が店頭に並ぶことになりそうとのことです。「世界の中での自国の位置を考える」、というスタンスは、日本人にとっては取り立てて書くほどのこともない、言ってみれば当然のことという感じもしますが、アメリカにとっては大変大きなトレンドの変革だそうです。
留学や仕事を通じた交流の機会も増え、日本でも独自の「アメリカ論」をお持ちの方も多いと思いますが、今回入江先生のお話にあったような「アメリカ国内での『アメリカ論』」は、日本にいる私たちにはなかなか届かないのではないでしょうか。皆さんの「アメリカ論」再考の刺激になれば、幸いです!
PS 入江先生には、輝かしい研究業績もさることながら、アメリカという地で、今日のイチローや松井のように、自分の能力を発揮し活躍してこられた姿は、本当にすばらしいと思いました。まだまだ未熟な私が入江先生を目指すのはなんとも気が引けることではあるのですが、それでも、「私もこれから頑張るぞぉ!」と、勇気をもらってしまいました!!
*1:事業に関する調査の一環でした。こういう知的好奇心を刺激される機会があることが、この仕事の魅力だなぁ、、、としみじみ。
*2:国家を超える、という意味での『超』国家主義
*3:多文化主義からの要請を受け、過去10数年の間に、歴史の講座はマイノリティの歴史を積極的に取り上げてきてはいますが、あくまでも「アメリカ内」の歴史であったと言えるでしょう
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