Monday, December 1, 2008

日本語能力試験まであと1週間!






12月7日。




年に1度、日本語学習者にとって大きな意味を持つ日が今年もまたやってきます*1


1984年に開始されて以来、今年で25回目となる日本語能力試験の実施日です。




このブログでも昨年のこの時期、潮風さんが記事を書いています*2


私、久保田はまさにこの試験の海外での実施を担当しているのですが、試験当日を目前に控え、バタバタした毎日が続いています。




昨年度、全世界での応募者は約63万人だったのが、今年はさらに3万人増えて約66万人(!)。なかでも日本国内、タイ、香港、ベトナムで応募者数の伸びが顕著です*3





普段仕事をしているときには66万人というのは実績の数字なので驚いたりしている暇もないのですが、いまこれを書きながらあらためて考えると、1日に66万人が受ける試験って・・・・・・。





個人的な思い出ですが、以前、台湾に留学していたころ、たくさんの友人がこの試験を受けていて、現地の友達と対策を練ったりしていました。ただ、そのときはこの試験の受験者数がこんなに多いとは想像すらしていませんでした。日本語の公的試験を受ける方々が66万人もいるという状況を、その当時の僕みたいに知らない日本人もたくさんいるのではないでしょうか。





この試験は基本的に「日本語を母語としない方」が受ける試験です。すると受験者は必然的にそのほとんどが外国人ということになります。広報もできる限りがんばっているのですが、日本語の学習者への広報が主になってきます。そうすると、日本語教育関係者や教育機関関係者、あるいは日本語を学んでいる外国人のご友人がいる方でもない限り、この試験が現状どのような試験であり、また今後どのように展開していくのか、知らないひとがほとんどなんじゃないかな、と想像しています。




僕はこのような現状を多くの日本人にも知って頂けたらなと思っています*4





さらに、国際交流基金(ジャパンファウンデーション)は、現在年に1回であるこの試験を、2009年から年2回実施する予定です(試験の年複数回化)。また、2010年からは25年の伝統を持つこの試験を、よりよいものにしようと鋭意準備を進めています(改定新試験の実施)。このような新しい動きについても、いろいろな形で広報を行っていけたらと考えています。





日本語能力試験という試験がどのように作られ、そして運営されているのか、外部からはわからない部分もたくさんあると思います(ある部分は機密ですから当然ですが)。正直に言うと、僕も学生時代、台湾の友人と一緒にこの試験についてブーブー文句を言っていました。




ただまさに「言うは易く、行うは難し」、批判するのは簡単です。普段は思い至らないだけで、目の前に当然の如くあるものの背景には多くの人々の尽力という膨大な積み重ねがあることがしばしばであるように、この試験に関わってくださっている方々のお仕事ぶりは本当にすごいです。これは身内の贔屓目とだけ言って片付けられるものではないとすら思います。先日発売になった『Monkey Business No.3.5』のなかで、村上春樹さんが英国の作家カズオ・イシグロを評したような、「礼拝堂の広大な天井や壁に長大な時間をかけて一面の絵画を描き上げるよう」な作業をされていると個人的には思っています*5。そんな努力の積み重ねの結果、少しずつでき上がっていく試験問題は、芸術品だと言えると思うのです。僕も事務局の一員として、本当にできる限りのことをしたいと思います。





最近「日本語教育情報局@コンケン」というサイトを見つけました。そこに日本語能力試験のご案内も。





上でも書きましたように、タイではますます受験者が増えてきています。サイトの運営をなさっている西野先生とは面識がないのですが、先生、ご案内ありがとうございます。これからも任国でのご活躍をお祈り申し上げます。





最後になりましたが、受験者のみなさん、ご健闘をお祈りします!がんばってくださいね!!




*1:例年、原則として12月の第一日曜日に行われます。


*2:潮風さん、この前は「きもの」記事のご投稿ありがとうございました!


*3:利用者の方にはわかりにくいと思うのですが、日本語能力試験は(財)日本国際教育支援協会との共催で行っており、日本国内での実施は同協会が担当しています。日本国内と海外で問い合わせ先が異なるのですが、混乱される方もしばしば。「受験地」を基準にお問い合わせ頂ければと思います。


*4:どうしてそう思うのかというのは、書き始めるとどこまでも書いてしまうような気がするので割愛。


*5:原文は「…彼(カズオ・イシグロ―引用者)は巨大なひとつの絵画を書いている。たとえば一人の画家が、礼拝堂の広大な天井や壁に長大な時間をかけて一面の絵画を描き上げるように。それは孤独な作業だ。時間もかかるし、消耗も激しい。一生仕事だ。そして彼はその一部を描き上げるたびに、何年かに一度、我々にその完成された部分を公開する。…」です。





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