Monday, February 11, 2008

文化担当官の休日-おまつり大好きセネガル人 その2「タバスキは、さながらお正月」






みなさんこんにちは、セネガルの高須です。

前回に引き続き、「犠牲祭」の様子Vol.2をお届けします!




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ネガル最大の年中行事は、イスラム犠牲祭「タバスキ」
朝のお祈りのあと、アッラーの名のもとに羊の喉をかっさばき、血を地面に流し、その場で皮はぎ・腑分け・解体を行うという、実に血なまぐさいものですが*1、セネガル人であればだれもが心待ちにしている1年のしめくくりのおまつりです。




f:id:japanfoundation:20080125181747j:image:rightマダン最終日の翌日(これもコリテというおまつりです)から2ヶ月後の新月から数えて、10日目がタバスキ。コーランにちなんだもので、アブラハム(聖書でも同じ)が神の命に従って息子イスマイル(聖書ではイサク)をまさにいけにえとしてささげようとしたその瞬間、天使ガブリエルが羊を持って天から降りてきた。以来、雄羊をささげることとなったのが由来だそうです。そのときガブリエルは、羊の角つかんで一緒におりてきたので、「タバスキの羊は角のある羊じゃないといけない」んだとか。とにもかくにも、この時期になると町中が、白くて角のある羊であふれかえります。広場という広場はどこもかしこも羊だらけ、地面は羊の糞で足の踏み場もないほど。セネガル人のお宅に呼ばれると、台所の裏から突然メエエーという大音声が聞こえて、椅子から思わず飛び上がったりするのもこの頃です。冷蔵庫のある家ばかりではありませんから、羊は当然、おまつり当日まで生かしておくのが新鮮さを保つ秘訣。おまつり直前は値段がはねあがりますから、すこし前に買っておいて、自分の家で子どもたちが羊を養っているうちにすっかり情が移り、タバスキ当日に「ぼくらの羊」にとりすがって「殺しちゃいやだー」、と泣くことも多いとか。




バスキはイスラム暦によりますから、日にちは毎年ずれます。日を決めるにあたっては、政府の専門委員会のおじいさんたち(だいぶん目がかすんでいるとのうわさもあり(-_-;)が、くだんの新月とおぼしきその日にみんなで空を見上げ、 「おい、月は見えないな、ホントにホントに見えないなっ」と各地で確認し、その日から10日後をタバスキの日として正式に発表します。「委員はそろって月が全くみえないことを確認した」なんていう記事が大真面目に新聞に載ります。2007年のタバスキは12月21日となりました。とはいえどうも全会一致ではなかったようで、いくつかの宗派の人たちは20日こそが正当なタバスキであると主張し、前日から路上でいきなり羊を殺し始める人たちもいたりして、市中は若干混乱していましたが、「まあ、もともと20日からおまつりは始まっているようなもんだから」と庶民はいたって鷹揚でした。




人男性であれば、タバスキに少なくとも羊一頭を用意しなくてはいけません。男尊女卑の傾向が強いイスラム教ですが、最近では経済的に自立している女性も、一頭用意するようになってきているとききました。お金持ち(だと思われている人)は親戚にも配らなくてはいけないので、多い人は5頭も6頭も購入します。功成り名を遂げた人が、若い頃に世話になった親戚にずっと羊を送り続けている、というような例も多いそうです。
f:id:japanfoundation:20080124182243j:image:left私の友人ACはギニア国境近くの草深い辺境の村の生まれで、夕飯に米が出たりした日には「ACんちの夕食は今日、米だぜ、米」と村中のうわさになるようなところだそうですが*2、若い頃に少々無理をして甥っ子の英国留学の費用を用立ててやったら、以来その甥っ子は感謝の気持ちを忘れず、毎年英国から羊を買うお金を送ってくるそうです。だからタバスキの羊は買わなくて済んでるんだ、と自慢していました。ちなみにACの息子たちは現在フランスで受験勉強中なので、奥さん(キリスト教徒)は今回フランスに行ってしまい、ACはひとりダカールでお留守番。「今年のタバスキは、ボクひとりでお祈りして、ボクひとりで羊殺して、そのまま肉を冷凍庫に詰め込んで、友だちの家に行って友だちの羊食べて、あとは女房の帰りを待つばかり」とちょっぴりさびしそうでした(´へ`;)




常、タバスキの時期には、各国・各地に出稼ぎや留学に出ている息子や娘が続々と故郷に戻ってきて、盛大におしゃべりしながら料理して、新調の晴れ着を着て、肉をたっぷり食べて、親戚や友人を訪ねあって、またそこでも羊を食べて、子どもにお年玉をあげて・・・・とまさに日本の餅つき、お正月のような光景がまちじゅうで展開されます。「肉好き野菜嫌い」の傾向著しいセネガル人が、「うー、もう肉なんか見たくないよお」と楽しげに得意げに言う日でもあります。夜になると晴れ着を着て門かどをめぐり、親戚やご近所の人たちに、この一年間にさまざまな迷惑をかけたこと、かけたかもしれないことに対して「ごめんなさい」を言い合う(demander pardon)習慣があり、日本の除夜の鐘とも通ずるものがあることを思います。ウォロフ語で「心を洗う」という表現も使うそうですが、なかなか粋な風習だと思いませんか(´ー`*) 。こうして心を洗い、心ゆくまで肉を堪能したセネガルの人たちは、気持ちも新たに次なるおまつり、イスラム新年(タムハリット)へと突入していくのであります。

(つづく!)



*1:要するにこの日一日で、少なくとも成人男性の数だけ羊が殺されるわけです( ̄ ̄;)!!

*2:ちなみに主食はトウジンビエやマメです




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