Monday, August 27, 2007

「ものを書くこと」のススメ Part1



みなさんこんにちは!


今日は、ジャパンファウンデーションきっての文筆家、小川忠さんとブログチームとの対談の模様をお届けしましょう




小川さんの最新刊 『テロと救済の原理主義』 は、この間、Casa Asiaのガエルさんへのインタビュー後記で松岡さんが触れていたことで記憶に残っている人も多いのでは*1?実はサポーターズクラブでも本人のコメントとともに紹介されていますし*2、アマゾンで検索してももちろん、ほら、でてきます(笑。こちら)。


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で、対談ですが、もちろん、この本の内容についてもお聞きしてはいるのですが、焦点は別のところに置くことにしました。というのも、小川さんは以前から、国際交流に携わる若手の職員に向けて 「自分の問題意識を、文字に落として発信していくように」 ということを何度も主張されているからです。研究者でも文筆家でもない、国際交流の専門家だからこそ持ちうる視点、書けるテーマってなんなのでしょう?そもそもどういうきっかけで物を書き始めるの??





これから国際交流に携わろうと思っている人、既にその道に踏み出している人、あるいは、分野にかかわらず、自分の考えを対外的にどんどんアピールしていきたい人、、、そんなあなたに必読の対談となりました!ではでは、どうぞ。





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■『テロと救済の原理主義』について






Q:「テロ」と「原理主義」を結びつけて論じる文章は多々目にしますが、そこに「救済」という言葉が入っているのが印象的なタイトルです。この本で伝えたかったメッセージを簡単に教えていただけますか?


A: ょうどインドに赴任していた時期(1998-2001)、ヒンドゥー・ナショナリズム政党が政権を握っていたことが「ナショナリズムと社会・文化」に対して関心を高めるきっかけでした。たとえば、イスラム原理主義などは、狂信的、攻撃的イメージで語られがちだけれども、本当にそうなのかな、と。過激派という一言で片付けられてしまう自爆テロ犯なども、その人となりを調べていくと、実はもともとはまじめな、普通の青年だったりする。よくよく考えると、過激な人が過激なことをするから怖いのではなく、案外自分と近い、「ふつう」の人が、「ある状況」に直面したときにテロリストになってしまうことのほうが怖いのではないか。だとすれば、ふつうの人を駆り立ててしまう「ある状況」って何なのだろう、という感じで考えていったんです。


イスラムって本当は実に多様。なのにすぐに過激派と結び付けられる。でも、宗教が本当に原因なのか?と。むしろ、社会体制や政治状況のほうが問題なのではないかという視点ですね。





Q:それを検証していく過程で、日本の戦前の日蓮主義と比較されていますね。このイスラムと日蓮主義の比較って、今まであまり見たことがないのですが、こうした研究はこれまでにも、なされていたものなのでしょうか?それとも小川さん独自の視点でしょうか?


A: れまでもあるにはあるでしょうけど、数は少ないと思います。


学術研究というのは、最近は特にそうですが、専門分野が細分化し、その専門分野で深く掘り下げていく傾向にあるので、たとえば今回私がとったような視点でアジアの近代化体験を比較してみるような研究は意外と少ないんですよ。ある意味、非常に挑戦的な、危ない議論をしているなあと自分でも思うところもあるのですが、これは研究者ではなく、ジャーナリストや国際交流の専門家だからこそとりうる視点ではないでしょうか。


ただ、重要なことは「思いつき」だけだとまったく意味がない、ということです。誰も振り向いてくれません。自分が肌身で感じて「おや?」と思ったことは常にチェックする。調べてみる。そうやって思いつきを補強していくのが大事なんですね。






■国際文化交流の専門家が、ものを書くということ




Q:学術研究との比較が出てきたところで、ぐぐっと今回の対談のポイントに迫っていきたいのですが(笑)、そもそも小川さんご自身が執筆活動を始められたのはいつごろで、どういうきっかけがあったのでしょうか?


A: 冊目の本『インドネシア-多民族国家の模索』(1993、岩波新書)については、「本を書こう」と思って書いたものではないんです。というのも、国際交流基金に入って最初の海外赴任先だったインドネシアのジャカルタにいるとき、「業務月報」には書かないような、もっと個人的な見解なんかを、本部の仲間たちに月に一度程度送ってたんですよ。そしたらそれがある大学の先生の目に留まり、「本にしてみないか」って。だから、「調べて」書いたものではない。歩いて、歩いて、書いたものなんです(笑)。


 


「本を書くぞ」と思って書いたのは、二冊目の『ヒンドゥー・ナショナリズムの台頭』(2000年、NTT出版)が最初です。これが運よく、「アジア・太平洋賞特別賞」をいただけることになって、初めて「書くこと」に自信が持てたという感じですね。「偶然」ではなく、「本として出すこと」を意識して書いたものが、認められたわけですから。








Q:へええ。


最初から、文章を書くのが好きで好きで仕方なくて、満を持して書かれたのかと思っていたので、なんだか意外ですね。ちなみに、1冊目から2冊目の間は7年間という月日が流れていますが、この間はネタを集めていた、という感じなのでしょうか?


A: や、その7年間は、特に書き溜めたりしていたわけではないんですよ。むしろ、1冊目はまぐれというか幸運というか、そういう感じだったので、自分が本を書けるなんて思っていなかった。JFでの配属部署も総務部で行革を担当していたりして忙しかったし。


それが、1998年から、今度はインドのニューデリー事務所の所長として赴任できることになり、状況が変わりました。やっぱり、海外に出るといろいろと感性が刺激される。冒頭にも言いましたが、自分の関心の中心が「ナショナリズムと社会」「ナショナリズムと文化」であることをはっきりと自覚し始めたのもこの時期です。そこに運よく出版社の声がかかったこともあって2冊目を書きました。


(つづく)



今日はここまで !(*^-')/~Bye


明日は、「ブログなどで日記や感想を綴ること」と、「本にして出してより多くの人に共有してもらうこと」との違い、それから、小川さんの今後の展望(野望?笑)などについてお届けしますよー。お楽しみにっ!!


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*1:その記事は、こちらです。


*2こちらをご覧ください。





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