Tuesday, January 24, 2006

オタク、オタク文化、サブカルチャーなどの概念と、多様性



三番蔵さんが書いてくださった「コンテンツ産業とオタ」という話という話に関連して思い出したのですが、1月11日の朝日新聞(夕刊)で、2004年9月にヴェネチア・ビエンナーレ日本館で行なわれた「おたく:人格=空間=都市」*1のコミッショナーであった森川嘉一郎さんが興味深いことを書いていらっしゃいました。


そういえば、最近は「論座」2月号に掲載されているJFの企画調整・米州課に所属する今井隆志さんの記事もソフトパワーに関するものでしたね。




森川さんの記事<「萌え」利用した優越感>は、作為的にオタク像を誤読させたマスコミと、その通りに誤読した視聴者の関係との根深い問題について書かれていて、視聴者がオタクに対して優越感を感じる上で当たりの良くない要素は、マスコミと視聴者双方の「欲望」によって排除される*2構造を「古典的な愚行」と仰ってます。

他方、今井さんの記事<日本発の性・暴力表現は通用しない -「ソフトパワー」が抱えるリスク>では、日本のコンテンツがアメリカで受け入れられつつあるが、日本のアニメやマンガ*3が、その視聴者にとっての感受の自由というレベルで罰金や訴訟、果ては外交問題の要因になる可能性は否定できないので、日米両国で規制基準やその方法を探るべきである、というご意見です。




森川さんの記事について、私は深い実感と共感を持っています*4

この記事はGさんMさんにも必ず読んで頂きたいっ。メディア・リテラシーについて考えるための、一つの教材だと思います*5





今井さんの記事については読んだばかりなので、実はまだ私の中で明確に意見が定まっていません。


ただ、一読して思い出されたのは「感受の自由」と共に保護されるべき「表現の自由」の行方です。

この記事では特には語られていませんが、本来的には「表現の自由」というものは「規制」という形で外的に制限すべきものではありませんし、仮に規制を要するとしても、その基準はアメリカを始めとする諸外国との文化外交上の諸要素から決定されるものであるかどうかは議論の余地があると思っています*6





まあ、こうやって、文化について各職員が色んな意見を持っていて、その多様性が許容される組織、それがジャパンファウンデーション(笑)。




*1:あまり知られていませんが、これもジャパンファウンデーションの主催事業ですよー!皆さんがお手許にお持ちのフィギュア(新横浜ありなちゃん)付きカタログをご覧下さい。ちゃんと蝶のマークが入ってますよ。


*2:無菌室的、なんて表現もできます、よね?(誰に言うてるねん・・・) 


*3:ここでは主に「性表現や暴力表現の含まれているアニメやマンガ」の意。


*4:JFブログの記事を書くときにでも「サブカル」とか「オタク」とか、そういう用語を使うときにはかなり気を使うようにしています。森川さんの新聞記事にもありますが、「サブカル」や「オタク」に対する偏見というのは余りにも根が深く、JF内でも「オタク」に関する誤解の延長線上で私のキャラクターが捉えられているんじゃないかと、ときどき不安になります。でも、そんな偏見からだって逃げちゃだめだ、逃げちゃだめだ、逃げちゃだめだ、逃げちゃだめだ・・。


*5:もちろん、森川さんの記事やこのブログだって、メディア・リテラシーのもとで読まなあきまへん。


*6:モノを作る者としての私見としては、表現への規制が本当に必要か否か、というならば、必要ないと思っています。こういった分野でも三番蔵さんと同じでまだまだ勉強が必要ですねー。むむっ、今年も頑張ります(いまさら今年の抱負?!) 





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