Friday, December 7, 2007

ふれあい奮闘記 第1話「成都へ ―The Beginning…」






みなさん、こんにちは。三富です。





今年4月に華々しく中国・成都にオープンした「ふれあいの場」。


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四川省の省都であり、歴史的遺産も豊富で、国家歴史文化名城にも指定されている成都は、海外の文化についても幅広く受け容れる土壌が備わっているといわれます。


そして、この成都に、J-POPやファッションなどの最新の日本情報を提供する場、また日中の市民交流活動の拠点としての「ふれあいの場」第一号が開設されました。





開設までの約3ヵ月にわたる奮闘の様子を、今日から「ふれあい奮闘記シリーズ」として担当の佐治さん(日中交流センター)に語っていただきます。





第1話となる今日は、着任早々、慌しく成都へ出張するまでをお届けします。






● The Begining・・・





中国の至るところに日本の文化センター(「ふれあいの場」)を作るという構想自体、はじめに聞いた時は夢のような気がした。


当時はふれあいの場事業に自分が係わるということは夢にも思ってなかったので、まあ、そういうこともいつかは可能なのかな?というぐらいにしか考えていなかったが、実際に「ふれあいの場」第1号拠点を中国の成都に作る事業に係わることが決まった時に、全く夢としか思えなかった事業が、自分自身の係わり如何によって実現するかもしれないという、チャレンジ精神を掻き立てたことは間違いない。


しかし途中からの参加であったため、如何せんどこまで作業が進んでいるのかがわからない。情報不足!更にオープンが3月中とあって、参加した時点ではもう11月も下旬に差し掛かっている。間に年末年始があったり、中国では2月が旧正月(春節)もあることから、実際にオープンするまでに使える期間は3ヶ月!





まず何をしたか。情報収集である。とにかくそれまでの主担当者から情報を聞き出し、更にそれまでこの事業に関係ある外部の人たちに片端から会うようにした。とは言ってもほとんどの関係者が中国にいることから、着任早々、中国の成都に飛んだ。





中国自身、それまで3回くらいしか行ったことがなかった。ましてや四川省の成都のように内陸部ともなると、全く中国のどこにあるのかも想像すらできなかった。パンダや激辛四川料理くらいしか思い浮かばない。





ガイドブックも買う暇もなくそのまま上海経由で成都へ。もう既に11月末ともなると、肌寒かった。





今回の大きな任務は「ふれあいの場」の建設予定地となっている建物のオーナーである中日友好会館と実際にプロジェクトを進めるのか、進められるのか、作業工程を確認し、お互いで合意をすることである。





それまでメールや電話でしかやり取りをしていなかった人たちと会うのも楽しみだったが、写真でしか見たことがなかった建設予定地を実際に見るのも楽しみだった。





上海経由で成都に到着。着いたのは昼過ぎだったが、空は厚い雲で覆われ、天気は正直言って良くなかった。後からわかったことだが、成都は1年中ほとんど晴れることはない。日中、たまに日光が雲の隙間から覗くことはあるが、稀である。この時から4ヵ月後の「ふれあいの場」の開設日は珍しく晴れた。









夢のような構想を現実のものとするため、4ヶ月後の開設を目指し、日本と中国とを往復する多忙な日々を送った佐治さん。


幾多の困難をいかにして乗り越えて、2007年4月の開設にこぎつけたのか?


第2話をお楽しみに。





Wednesday, December 5, 2007

世界の言語で新年のあいさつを。



いよいよ師走になりました。


本屋さんの前で「一気にやらない大掃除」というキャッチコピーに目を奪われたミカンです(^^;)


クリスマスに忘年会、皆さんなにかと慌しいこの季節ですが、ほら、見て!!!


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こんなイルミネーションを見ると、会社帰りにも気持ちが和みますね。(アークヒルズ・カラヤン広場付近より。)





あっ、そろそろ年賀状が、グリーティングカードを書かなきゃ…と思ったあなた!


海外の友人に送るのなら「あけましておめでとう」をその国の言葉で添えてみたい☆ですよね。


というわけで、謹賀新年 ~まずはお隣のアジアから始めましょ。





中国なら・・・  恭賀新年


タガログ、 Manigong bagong taon!


マレーシア、インドネシア Selamat Tahun Baru


ロシア С Новым годом!





ん、お隣の韓国は?? 새해 복 많이 받으세요.





せっかくなので、韓国でのお正月の過ごし方について、聞いてみました!

ジャパンファウンデーションには、世界から中学・高校の先生方を日本に招へいする事業*1を行っているのですが、来日中の先生方に基金職員Eさんと同行した韓国交流財団(Korea Foundation)*2の方が、答えてくださいました♪





韓国のお正月はどうやって過ごすの?家族で?恋人と?



もちろん家族と!



え、じゃあ韓国の一家が過ごす「とある新年の一日」ってどんなかんじなんでしょうか?



新年は親戚一同が(遠縁の親戚も含めて)集う、一年の中でも数少ない機会なんです。こんな親戚大集合の機会は、後はチェソクといって日本のお盆のようなものぐらいです。親戚が集まってチェサという祖先を敬う儀式を行います。



花火とか打ちあがったりするの?



いや、花火って結構韓国では新しいです。



初詣とか行くのかな?



ううん、仏教じゃない限り特にいかないよ。



そういえば、韓国では意外にもキリスト教徒が多いんですね。


お正月の料理ってあるの?何を食べる?



トックスープが多分一般的かも。



トックスープって何? どうやって作るの?



トックというのは、お米で出来た棒状のおもちのようなものをスライスしたものです。日本のおもちよりも少しやわらかくて、どちらかというと白玉のような感じです。それに牛肉や卵を入れて、スープを作ります。



*作り方*


http://www.asahi-kasei.co.jp/saran/recipe/0706.html


みなさんもトックスープ挑戦してみてはいかが?





さてさて、今日はちょっと早めのお正月をご紹介しましたが、当ブログで恒例の世界のクリスマスシリーズも近日中に掲載予定です。お楽しみに*^^*




*1:1972年の設立当初から継続して実施しているもので、これまでに全世界から招へいされた中学・高校の教員は7000人に達しようとしております。


*2:韓国の芸術と文化を紹介する雑誌Koreanaのサイトもぜひご覧下さい!





Monday, December 3, 2007

世界の○○感謝の日シリーズ vol.3 ~サンクス・ギビング:ターキーからピカチュウまで((オレペコより:vol.1~バリの神様編~はこちら。vol.2~インド「師匠の満月」編~は こちら。))~






ニューヨーク事務所の赤澤です。

ブログチームから、「アメリカのサンクス・ギビングってどうなんですか?」というお題をもらっていたのですが、さてどうしたものかと思案しているうちに、サンクス・ギビングが終わってしまい・・・そこで、急遽、アメリカ人の同僚への突撃インタビュー企画に変更しました。話を聞いたのは、11月からニューヨーク事務所のスタッフとして採用され、知的交流事業の仕事を一緒に担ってくれることになったメラニーさんです。JETプログラム*1で鳥取県に3年勤務したこともある日本通の彼女は、元祖サンクス・ギビング!?ともいうべき人物のようで・・・・



 今年のサンクス・ギビングはどうすごしたの?


f:id:japanfoundation:20071122103923j:image:right パートに友達が遊びに来て、伝統的なごちそうを用意してみんなで食べたんだけど、ほとんどの友達はアメリカ人じゃなくて、「始めてのサンクス・ギビングだ!」とよろこんでました。

山ほどごちそうを食べて、おしゃべりして、メイシーズパレード中継をテレビで見て*2、と、まあいつもどおりのサンクス・ギビングって感じだったかな。私が料理したのは、ターキー、クランベリーソース、マッシュポテト、マッシュスウィートポテト、コーンブレッド、グレービーソース、パンプキン・パイなどなど・・・





なんかすごいご馳走だね。うちも友達が遊びに来たけど、メインは、チキンの丸焼きでした(笑)。ところで、超基本的質問で恐縮なんだけど、なんでターキーなの (・_・?)


 統的なサンクス・ギビングのごちそうに使われる食材の多くは、もともと北米で栽培されていたものです。入植者はアメリカ大陸に渡ってきてはじめての厳しい冬に遭遇して大変だったのですが、近隣のネイティブ・アメリカンが、とうもろこし、スクウォッシュといった食料を分けて、助けてくれたのです。


プリマス植民地の最初の入植者の一人である、ウィリアム・ブラッドフォードという人が記した「プリマス植民地の歴史」という書物に、「ネイティブ・アメリカンへのお礼(サンクス・ギビング)の宴のごちそうに、鳥でも捕まえてこいと、植民地の知事が部下を狩りに行かせたところ、ターキー、カモ、ガチョウを捕まえてきた」というくだりが出てきます。そこから、ターキーがサンクスギビングの象徴みたいになったんですね。





 知事の部下さんは、「ちぇっ」とか言いながらしぶしぶ狩りにでかけたんですかね(^▽^;)。ま、それはさておき、メラニー、なんでそんな歴史に詳しいの?


 の一家は、実は、サンクス・ギビングの開祖ともいうべき、最初のプリマス入植者の末裔で、私の14代前の先祖のマイルズおじいさんは、プリマス植民地の警備隊長だったんです。彼は、最初の入植者達と一緒にメイフラワー号でアメリカに渡り、「メイフラワー誓約書」という、プリマス植民地の経営方針を定めた文書に署名したメンバーの一人であったそうです。また彼は、その先祖の生まれ故郷であったイングランドの町の地名にちなんで、マサチューセッツにダクスベリー(Duxbury)という町を開いたと言われています。彼の話は、ヘンリー・ワズワース・ロングフェロー(19世紀、アメリカの詩人)の「マイルズの求婚」という詩にも出てくるのですが、若い女性に恋をしたマイルズが、自分の気持ちを友人に託してその彼女に伝えようとしたところ、事もあろうに友人がその女性と結婚してしまった、という、これはサンクス・ギビングには関係の無いお話ですけれど。





: マイルズ隊長。恥ずかしがり屋さんだったのかな(*^^*)。でも、まさに元祖サンクス・ギビングじゃない? すごいねー。でも、JETで鳥取県に派遣されてた時は、さすがにターキー手に入らなかったでしょ?


 語補助教員としてJETプログラムで鳥取県の福部村*3に派遣されていた時のことですね。


f:id:japanfoundation:20071203115238j:image:right サンクス・ギビングは、アメリカの文化としても、私の家族の歴史にとっても重要な行事なので、ぜひ生徒たちに紹介したかったんです。そのためにはやっぱり、伝統的なごちそうが欠かせないと思って。でも、近所のスーパーでは、ターキーが手に入らなかったので、神戸の輸入食品会社を通じて、特別発注しました。それでターキーは手に入ったんですけど、大きなオーブンが、村のどこの家庭にも無くって、村のコミュニティセンターのキッチンを使いました。センターのスタッフが協力してくれたのですが、みんな巨大なターキーにびっくりしていました。ターキーが焼きあがったところで、学校に持っていって子供達に食べてもらったのですが、子供達も「こんな大きな鳥みたことない」と大騒ぎでした。





 メラニー先生の、ターキーを通じた文化交流授業だね。


 うすぐ年末だけど、日本のお盆とか年末年始は、みんな家族が帰省して、ごちそう囲んで語らいますよね。これは、アメリカのサンクス・ギビングに近いんじゃないかなと思いますよ・・・




・・・ということで、年の瀬も近づき、ふるさとに帰省できない私は、ちょっぴりしんみり、のインタビュー締めくくりとなりましたが、日本のみなさま、少し早いですが、行く年を振り返りながら、ご家族のみなさんとよい新年をお迎えください(^^)/





・゜゜・。・゜゜・。・゜゜・。・゜゜・。・゜゜・。




*1オレペコより:正式名称は、The Japan Exchange and Teaching Programme. そういえば、中学校の英語の時間に若い外国人の先生がアシスタントでいたなあ、、、とおぼえていらっしゃる方も多いはず。概要はこちら→


*2:アメリカのデパート、メイシーズ(macy*s)がスポンサーになって毎年行われるパレード。アニメや映画のキャラクターなどの巨大なバルーンが挙がることで有名(HPはこちら)。一昨年は、日本のPuffyが登場して話題になりましたが、今年は始めてハローキティが登場したというので、盛り上がっていました。もちろんピカチュウも・・・


*3:市町村合併により、現在は鳥取市の一部になりました