Wednesday, May 9, 2007

藤森建築展にいってきました。



はじめまして、新しくブログチームに加わったミカンです。


この4月、国際交流基金にはわたしを含め11人の新人が加わりました!


今日は、その新人職員たちが潜入した、「藤森建築と路上観察」展オープニングの模様をミニレポートでお伝えします。





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7月1日まで、初台にある東京オペラシティアートギャラリーで開催中の「藤森建築と路上観察」展は、第10回ヴェネチア・ビエンナーレ建築展の帰国展として開かれています。もうすでにご覧になった方もいらっしゃるでしょうか?





展覧会オープニングには、たくさんの人が集まり、会場は大変なにぎわいを見せていました。さて、数ある展示作品の中でわたしたちに好評だったのは・・・「焼杉」、「タンポポハウス」、そし「路上観察学会」メンバーのスライド写真!まだ展覧会を見ていない方々のために、ちょこっとその魅力をダイジェストでご案内してしまいましょう。





建築展というと、通常は、建築の空間を、模型や図面、写真、ときには実物大のモデルなどで示すことが多いですよね。その点、藤森展は、少し違った様相を呈していて、木材や工具のような、いわば建築のパーツが展示されているのです。「焼杉」というのもその一つで、文字通り、真っ黒に焼かれた杉の木材です。藤森さんは、それを建築の壁面に使ったりするのですが、この焼杉、妙にどっしりとして不思議と心が落ち着きます。ああ、こんな柱が我が家にあったら馴染みそう、と思うくらい。





もちろん、実際に会場を訪れていただくのが一番なのですが、藤森建築の特徴をことばでお伝えするなら、それは、いかにも近代的なガラスやコンクリートの打ちっぱなし、ジャパニーズモダンというような流行の建築スタイルではなくて、自然に優しい、どちらかといえば素朴なスタイルの建築、といえそうです。





そんな藤森建築の中でもわたしが気に入ったのは、その名も「タンポポハウス」!何かって、家の壁に生えているんです、タンポポが!!都会のオアシス、西洋風の屋上庭園も確かにいいけれど、屋根を突き破って木がニョキッと生えてたり、タンポポがひょっこり顔を覗かせていたり、そんな家だったら住んでみたいなぁ、と思うような和みの家なのです。雨漏りしないの?冬は枯れちゃうの?!とメンテナンスも気になるところですが。





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右の写真に写っている、カゴのように編まれたシアタードーム、実はお客さんは靴を脱いで床に座り、スライドを楽しめるんです。今回の展示室内の隠れリラックス空間ですので、ぜひ体験を!





上映されているスライドは、「路上観察学会」のメンバー、藤森照信氏、赤瀬川原平氏、南伸坊氏、松田哲夫氏、林丈二氏が、道ばたで発見した日常の風景。彼らは思わず笑ってしまうような面白さを路上で観察するプロなのです!ヴェネチアの路地に干されたある家族の洗濯物や、まるで寄り添っているような二本の路上の白線とか、どう考えても実用性のない場所にある宙ぶらりんなドアとか・・・。











ヴェネチア・ビエンナーレは、世界各国が自国のアーティストを紹介する祭典。――そこで紹介された藤森建築は、きっとまた一つ、新しい日本のイメージを世界に発信したのだろうなぁ、と実感した新人職員一同でした。流行りもの好きで、次から次へと作っては壊すだけではない日本、自然と共生する日本の姿の一例は、ヴェネチアを訪れた人々にどう映ったのでしょう?気になるところですね!








さて、「藤森建築展」レポートはお楽しみいただけたでしょうか。


日本ではこの帰国展が盛り上がりを見せる一方、いよいよ6月には、本家イタリアで第52回ヴェネチア・ビエンナーレが開幕となります!今年の日本館は、港千尋コミッショナーによる岡部昌生氏の展示がすでに注目を浴びています。そちらの情報も、当ブログで取り上げていきたいと思っていますので、乞うご期待ください!!





Thursday, May 3, 2007

日韓文化交流の最前線を見た



こんにちは。三富です。ゴールデンウィークも終盤戦、皆さんはいかがお過ごしでしょうか。





先日お知らせしたJFサポーターズクラブ4月のイベント「国際文化交流最前線の舞台裏 ― 海外事務所の一日 韓国編」が4月21日に行われました。





国際交流基金についてJFサポーターズクラブ会員の方々と職員とが一緒になって考えていくことを目的に開催されるJFSCイベント「国際文化交流最前線の舞台裏シリーズ」ですが、好評だった第1回の「ジャカルタ日本文化センターの一日」に続き、第2回目となる韓国編では、本田さん、一寸木(ちょっき)さん、町田さんの3名がそれぞれの波乱万丈の韓国駐在経験をもとに、日韓の文化交流事情について語ってくださいました。





韓国といえば、日本文化開放以前は公に日本映画や言葉などが規制の対象とされ、また日韓関係が大きく改善した2002年の日韓ワールドカップ共催、それに続く2005年の日韓友情交流年以降も竹島問題や歴史教科書問題などで度々両国関係が困難な状況になった経緯は皆さんもご存知のとおり。





メディア上では韓国における上記の問題に関する抗議運動の様子などを目にすることもしばしばですが、日本においても、内閣府による外交に関する世論調査から、日本国民の対韓国感情の劇的な変化が見て取れます。


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内閣府大臣官房政府広報室『外交に関する世論調査』





国際交流基金の第19番目の海外事務所として2002年にソウル日本文化センターが設立された前後は、まさに日韓関係が大きく変化したときでもありました。





1997年~2001年にかけて、在韓国日本大使館に出向し文化交流全般を担当していた一寸木さん。


2001年~2004年までソウル日本文化センターに駐在した本田さん。


2002年9月~2005年8月まで、ソウル日本文化センターで専門調査員として勤務された町田さん。





それぞれが見た、そして体験した、日韓交流とは・・・ 


3名のお話の中で特に印象的であった一言で綴ります。









一寸木さん:


(韓国駐在中の思い出深いエピソードとして、ある韓国人教授の言葉を引用して)


「日本語に一生を捧げることを決め、大学院などで日本語を専攻する学生は、歴史教科書問題などが起こると大学のキャンパス内で非常に肩身が狭い思いをしている。教員として、学生が日本語を専攻することに誇りをもてるような環境にしてやりたい。」との先生の言葉に、日本人として考えさせられた。




本田さん:


相変わらずの日韓関係の不安定さを乗り越えるには、どれだけ個別の信頼関係を築き上げていくことができるかが重要。




町田さん:


(自分の担当した事業「料理と漫画で本格的日韓食文化に親しむ」が、その後も漫画家同士の交流や韓国における漫画のイメージを変えるなど大きく発展していく様子をみて、)


自分と他のスタッフの撒いたタネが大きく育つ歓びを実感した。






日韓両国の間に横たわる根の深い問題を乗り越えようと行動する人々の間に築き上げられる個別の信頼関係。その1つ1つが、他の人を巻き込みながら、大きく成長することで日韓関係が着実により良い方向にすすんでいくのでしょう。


厳しくデリケートな日韓関係の歴史的経緯を伺いながらも、3名の言葉から、将来にむけた決して小さくはない希望を感じました。





さて、当日イベントに参加された方からは、こんな声が聞かれました。






2001年の後半に留学した際には、竹島問題の影響などを直接経験することはなかった。日韓関係の変化について知ることができて大変興味深かった。




韓国に留学した経験があり、国際交流基金の仕事にも関心があった。


日韓関係が比較的良好な時に留学を経験したため、私自身はそれほど苦労することはなかったが、今回のお話を伺って、こういう方々の陰の努力があったからこそ今日の日韓関係があるのだということを強く感じた。






普段は舞台裏で黒子に徹している国際交流基金の職員ですが、国際文化交流最前線の舞台裏で活躍する職員が語る、黒子だからこそ見えるスポットライトを浴びていない影の部分についてのお話は、大変興味深く、また強く胸に響きました。





Tuesday, May 1, 2007

 金の豚 or 紅の豚?






f:id:japanfoundation:20070501120143j:image:leftみなさんこんにちは、オレペコです。


世間は黄金週間真っ只中!ということで、今日は、以前ご紹介した、「金の豚」についてソウルの十河職員からの報告をお届けしましょう。





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f:id:japanfoundation:20070501155121j:image:rightもうご存知の方も多いというか、既に旬を過ぎてしまった話題で恐縮ですが、今年は韓国でも中国でも「黄金のブタ年」、大騒ぎでした。




この年に生まれるとお金に困らないとか、出世するとかで、わざわざこの年に子供を生んだりする人が続出、まだ続いているのかしら。関連グッズもあれこれと売っていて、うちの近所の雑貨屋さんには、まだ売れ残っている(?)黄金の豚が並んでいました。いつまで置いておくつもりなのか・・・・・・*1





日本では「イノシシ年」ですが、韓国や中国では「ブタ年」。中国語や韓国語では「猪」という字が、もとから「ブタ」のことだったのに、日本ではいつのまにか「イノシシ」の意味に変わってしまったから、「ブタ年」が「イノシシ年」になったのだと思いますが、このあたりは詳しい方もいらっしゃると思います。訂正してくださいね。




f:id:japanfoundation:20070501122146j:image:leftで、今年は十干十二支(干支:かんし)*2であらわすと 丁亥年 、安倍清明で有名になった陰陽道(おんみょうどう)の元、陰陽五行説(いんようごぎょうせつ)というのがあって、これによれば十干のうち「丁」と「丙」は「火=紅」を意味することになるんだそうです。「亥」は「猪」に当てるので、  「丁亥年=赤いブタ年」 である*3、60年に一度回ってくる*4丁亥年の中でも、今年は600年に一度の「黄金のブタ!」ということらしいのです。ふーむ。




でも、「赤いブタ」なのであって、「黄金のブタ」じゃあない。実際、うちの近所には赤いブタも売っていました。じゃあ、陰陽五行説の「金」が絡んだ「辛亥年」なら本物の「黄金のブタ」になるのかっていえば、この「金」は「gold」ではなくて「metal」の意味だから、これも関係ないし・・・・・・*5





結局、あれこれ考えてもよくわからない。・゚゚・(>_<;)・゚゚・

21世紀に突然出現したベビーブームにソウルに居合わせながら、入試競争率が前後数年間で一番高かった年に大学受験した私は、「大学受験とか、就職活動とか、きっと大変だろうなあ」と、しみじみ感じています。そして、道端で1,000ウォン*6で買ってきた「黄金のブタ君」を床に叩きつけてみるのでした(写真)。今年生まれた皆さんは、きっとこのブタ君のように、叩かれてもすぐに元の形に戻る、元気な人たちになるんでしょうね。


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<たたきつけると、ぺしゃんこになりますが・・・>  <見事に元通り!>


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十河さん、どうもありがとうございましたー。


個人的には、一口に「金の豚」といっても、いろんな形、表情のものがあるのが面白い!これまで見たいくつかの写真では、「ほっぺたがぷっくり」が共通項かなあと思っていたのですが、十河さんが送ってくれた最後の写真を見ると、そうでもないようですねえ。・・・というか、この一匹だけがかなり異質であるような。タイムボカンシリーズに出てくる豚(知らない人はこちら。あー、年齢ばれそうだ・笑)に表情が似ていると思ったのは私だけ???




*1:オレペコより:写真の豚さんたち、ちょっと怖い・・・こんなに雑然と置いちゃって、ご利益は逃げちゃわないのでしょうか ( ̄Д ̄;; 


*2:オレペコより:十二支はわかるけど。「十干」って何?という方へ:海上保安庁のFAQにこんな解説がありました!


*3:ちなみに、「丙亥」という組み合わせはありません。ご注意!


*4:十干十二支では、(10と12の最小公倍数なので)60年後に元の干支になります。だから60歳になったら「還暦」(暦が還る)というわけです。v(*'-^*)-☆


*5:オレペコより:さきほどの海上保安庁のサイトをもう一度見てみると、、、なるほど、「辛」と「庚」が「金」に分類されていますね。


*6:オレペコより:日本円だと、大体130円くらいですね!