Thursday, February 14, 2008

文化担当官の休日-おまつり大好きセネガル人 その3「行ってみました、本場のタバスキ」






みなさん、再び高須です。


前回前々回と、セネガルの「おまつり」事情をお届けしてきましたが、その締めくくりとして、私自身が昨年末に体験した「本場のタバスキ(=犠牲祭)」の様子をお届けしましょう!を見るとフラフラ・・・という方にはちょっと衝撃的な内容も?!ではでは、ど~ぞヽ(^∀^*)ノ





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てタバスキ当日。


f:id:japanfoundation:20080209221115j:image:rightAC、いまごろひとりで羊と格闘してるかな、と思いながら、別の友人DNの家にお邪魔しました。朝10時すぎに行ったらすでに長屋中ハチの巣をつついたような大騒ぎ。累々と横たわる羊の頭(もちろん身体もついてます)をバルコニーの柵にひっかけて、皮はぎやら解体やらをしているお父さんたち。長い長い腸を引っ張り出して中身(すなわち糞)をしごきだし、手首にぐるぐる巻き付けて洗っている子どもたち。 「ちょっとあんた、それ胆嚢だからつぶしちゃダメよ、肉が苦くなるんだから」なんて言いながら、肉をより分けているお母さんたち。どの家族も総出でおおさわぎ、おおいそがしです。それにしても、羊の胃袋はおなかのほとんど全部を占めるほどヽ(゚ロ゚; )。あんなに大きなものだとは知りませんでした。セネガルの隣国カーボヴェルデのいくつかの島ではヤギや羊が増えすぎて、草木をほとんど食い尽くす獣害をもたらしていますが、あの胃袋だったらさもありなん、と妙なところで納得。





っちの家、こっちの家ときょろきょろしながら見物していたら、DNの息子がそろそろうちも始めるよ、と呼びにきました。DN購入の羊は丸々太って、角もしっかり巻かれて立派なこと。大きい男の子たちがその角をつかんで、中庭の砂地に横倒しに引き据え、ちいさい子どもたちが腹や足をよってたかって押さえつけます。地面に掘られた穴に首を横たえ、衆目のもと喉笛を掻ききられ、悲しげな目をして一声もなく、羊はあえなく刑場の露と消えました。イスラムの教えでは血はすべて地に注がなくてはいけないので、子どもたちは羊のおなかをみんなで何度も押して、喉から血をしぼりだしています。それが終わると、皮一枚でからだとつながった首を柵にひっかけてまずは皮はぎ。大きな包丁を、ときどき玄関の階段のカドを使ってシャッシャッと研ぎながら、まるまる一枚、破ることなく、首もつけたまま、あっという間に剥いでしまいました。 ◎(*(x)*)◎ ◎(*(x)*)◎





f:id:japanfoundation:20061207231316j:image:w250:rightネガルの長屋には、近所の人たちの集う中庭や広場があります。たったいま羊がほふられたところもその広場のひとつですが、この場所は一昨年12月に、国際交流基金主催派遣の和太鼓グループ「は・や・と」がワークショップを行ったところでもあります。セネガルの人にとって、太鼓は節目節目のおまつりにも欠かせないものですが、そのとき集まってくれた人たちも遠い日本からの若い客人を歓迎し、日本とセネガルの太鼓の共演という「突然のおまつり」を心底楽しそうに、みんなで祝ってくれたものでした。今日は同じ近所の人たちが、同じキラキラした目をして、総出で1年のしめくくり。「おまつり大好き」セネガル人の地域コミュニティの強い絆を改めて思った次第です。





すぎからあっちでもジュー、こっちでもジュー、肉を焼く香ばしいにおいがしてきました。広場の一角に火をおこして網を置いて、「ほやほや」の羊を焼く。ここからはお母さんと娘たちが主役です。タバスキのためにフランスから、イタリアから、「帰省」した家族が思い思いに近況をおしゃべりしながら、にぎやかに食事の準備をすすめます。帰省できなかった家族からも電話がひっきりなしにかかってきて、DNはおおいそがし。 「孫に、おじいちゃん長生きしてねって言われちゃったよ」なんて顔をほころばせています。





「さあさあ、熱いうちに食べて食べて」。一番おいしいと言われるレバーとあばら部分の焼きたてに、タマネギを炒めたソースや芥子を添えたものが大皿に盛られ、運ばれてきました。みんなで車座になってすわり、巨大な洗面器みたいな金属のお皿に右手をのばし(左手は使ってはいけない)、三本の指で器用に一口分をちぎって(けっこうチカラが必要)、ソースをつけて食べます。焦げたところが香ばしくて、肉やレバーそのものの味がぎゅぎゅっと詰まっていて、大変においしい。ピリッと唐辛子の利いたタマネギソースがその味を引き立てます。





れ替わり立ちかわりやってくる親戚の人たちに「まあまあちょっと一口、座って座って」と羊をすすめ、肉をつまみながらひとしきりおしゃべり。お酒はありませんが、日本のお正月とほんとうに同じです。親戚の子どもたちは三々五々晴れ着でやって来て、お年玉をもらうまでお行儀よくおとなしく座っています。DNがいたずらっぽく笑って「ちゃんと勉強してるか?」うんうん、うんうん。神妙にうなずきます。おごそかに民族衣装のたもとからコインを取り出して、ひとつずつ彼らにあげるDN。みんな真っ白い歯を見せて、ぱあっと明るく弾けるような笑顔になりました。もらうものをもらったらお礼もそこそこに、次の親戚「襲撃」に出陣。 「お年玉でノートとエンピツ買うんだ」と言っていました。





うこうするうち、はや時刻は6時すぎ。いとまを告げると、「おまえのための幸せのお裾分けだよ」。いつのまにかきちんと包んであった肉とソースを持たせてもらって、暖かい気持ちで家路につきました。来るものをだれでも明るく受け入れ、おいしいものや幸せは独り占めせず、まわりの人たちと喜んで分かち合う、セネガル人の「テランガ」、歓待の心を存分に堪能した一日でした ∩(´∀`)∩ 





えばこの「テランガ」に14年前に魅せられてからというもの、この不思議な豊かさはどこから来るのだろうかと折りに触れて自問してきた気がします。貧しいか貧しくないかときかれれば・・・・物質的にはやっぱり貧しいといわざるを得ない。しかしながらいったん足を踏み入れると、土地とそこに住む人々の心に深く根ざした文化の力というものが、ひろがりと暖かさをもって私たちを包み込み、私たちを圧倒するアフリカというところ。そこに育った知識人たちが、西洋一辺倒からはるかに遠く、自らの「故郷としての知」を模索し続ける土地。市井に暮らす人々の、音楽とともに身体からあふれ出す躍動感と生命力に満ちたしたたかな生活力。「豊かなアフリカ」はまだまだ手ごわく、奥が深そうです。


                                                        (おわり)





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